乗客106人が死亡したJR福知山線の脱線衝突事故から、4月25日で19年となりました。事故が発生した時刻と同じ午前9時18分ごろ、電車が現場をゆっくりと通過し、現場周辺では犠牲者を悼み、祈りが捧げられました。
2005年4月25日、兵庫県尼崎市のJR福知山線・塚口~尼崎間で、快速電車が制限速度を大幅に超えてカーブに侵入して脱線し、線路沿いのマンションに衝突し、乗客106人と運転士が死亡、562人が重軽傷を負いました。
事故をめぐっては当時、国の鉄道事故調査委員会(現在の運輸安全委員会)が、過密なダイヤの編成やミスをした運転士が乗務を外され反省文を書かかされる懲罰的な「日勤教育」が行われるなどのJR西日本の企業体質が事故の背景にあったと指摘しました。刑事裁判では、JR西日本の歴代4社長が業務上過失致死の罪に問われましたが、いずれも無罪が確定しています。
列車が衝突した9階建てのマンションは、事故後に1階から4階までを保存しアーケードで覆う形で追悼施設「祈りの杜」として整備されました。この「祈りの杜」では、午前9時45分から追悼慰霊式が行われ、遺族や負傷者ら約300人が参列しました。
JR西日本の長谷川一明社長は追悼慰霊式で、「あの日、私どもは皆様のかけがえのない尊い命を奪ってしまいました。全ての皆様に心よりお詫び申し上げます。誠に申し訳ございませんでした」と頭を下げました。その上で「尊い人命をお預かりする企業としての責任を果たしていなかったことを深く反省し、事故の事実や悲惨さ、命の大切さを心に刻み、反省と教訓に根ざした安全の取り組みを進め、更なる安全性の向上に努めてまいります」と語りました。
3両目に乗車し負傷した玉置富美子さん(74)は、「もう19年だなと言う気持ち。きょうは当時と全く同じ青空で、マンションの外に出された時、空を見上げてこんなに晴れてるのに、と思いながら過ごしたのを思い出した。伝えていくことは伝えていかないといけないと思う」と語りました。
2両目に乗車し負傷した土田佐美さん(55)は、「元気な間はここにきて、改めて自分も思い出そうと思う。事故当時3歳だった子供が新社会人となり、自分が入院していた系列の病院で看護師になった。親としては感慨深い」と話しました。
事故で長女・容子さん(当時21)を亡くした奥村恒夫さんは、兵庫県三田市の自宅で、容子さんが好きだった音楽を聴きながら、祈りを捧げました。奥村さんは、「21歳で亡くなってるから結婚前だし、事故さえなければ孫の一人や二人抱くことができたと思うと寂しいです」と胸の内を明かしました。
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2024-04-25 00:39:00Z
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