明治の女とは思えない天才・津田梅子、そのぶっ飛んだグローバル女子ぶりとは。
津田梅子は、あの津田塾大学の創始者です。英語に強い女子大といえば津田塾!その理由はなぜかといえば、津田梅子が英語が堪能な人だったから。
幕末に生まれた彼女は、日本初めて国費留学をした女性のうちのひとり、日本初のグローバル女子です。100年も前にイマドキなことを! なんて勘違いしてはいけません。この留学当時、梅子は6歳で、留学期間は10年。当然ながら彼女の英語は筋金入り、肝心の日本語が全くしゃべれなくなっていたほどだといいます。外国育ちの女子を日本に連れてきたのと変わらないのでは…。しかしこれを意味あるものに変えられたのは、津田梅子に「日本の女子教育をなんとかせねば!」という強い思いがあったからです。
津田梅子どんな人だったのか。まずは彼女とともにイギリスの大学を視察訪問した安井てつ(東京女子大の創設者)のコメントから。
「女史の自己主義も実に験けん致し候、私が少し強くなり無礼になりしと感ぜられたる様なり」
(現代語超訳:あの人の自己主張にちょっとうんざりしてしまうというか、我が少し強すぎて無礼な感じもするのだけれど)
帰国後の津田梅子は、アメリカで親代わりだった人に当てた手紙が大量に残されています。そこから感じられるのは、この人の中でたまりにたまった「イライラ」です。思うにその理由は、彼女が「間違った時代に生まれてきた天才」だったからです。
そもそも、6歳にして今よりずっと遠くずっとワケのわからない国だったアメリカに親元離れて渡った津田梅子。その時すでに読み書きができ、一緒に行ったお姉さんたちのホームシックを横目にすんなり現地になじんでいたそう。さらに8歳で自分から「キリスト教の洗礼を受けたい」と申し出たといいます。見た目子供だけど、中身は完全大人です。
さらに帰国後、日本語にてこずった梅子はつぶやきます。「フランス語のほうがずっと簡単」。英語を勉強しに行って、フランス語も習得していました。日本の女子の英語教育に取り組み始めた彼女は、その教材用にフランス語の『レ・ミゼラブル』を英訳するのです。最初から英語の本を翻訳するのではなく。
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https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190409-00010002-cosmopoli-ent
2019-04-09 09:37:00Z
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